生産現場を守るサイバーセキュリティ:スマートファクトリーにおける脅威モデルと多層防御の構築
スマートファクトリー化で直面する新たな課題:高まるサイバー攻撃リスク
製造業において、ビッグデータやデジタル技術を活用したスマートファクトリー化は、生産効率の向上、品質の安定化、コスト削減を実現するための重要な戦略となっています。しかし、システムがネットワークに接続され、OT(Operational Technology:制御技術)とIT(Information Technology:情報技術)の連携が進むにつれて、サイバー攻撃のリスクも増大しています。
生産現場へのサイバー攻撃は、単なる情報漏洩に留まらず、生産ラインの停止、設備の破壊、製品品質への影響、さらには物理的な安全リスクにも繋がりかねません。これらのリスクは、生産技術部門のリーダー層にとって、生産性改善への取り組みと並行して避けて通れない課題となっています。
本記事では、スマートファクトリーにおけるサイバーセキュリティ対策の根幹となる「脅威モデルの構築」と、複数の防御策を組み合わせる「多層防御」のアプローチについて、実践的な視点から解説します。これらの考え方を理解し、具体的な対策を進めることが、安全で信頼性の高いスマートファクトリーを実現する鍵となります。
スマートファクトリー特有のサイバーセキュリティリスク
スマートファクトリー環境は、従来の閉鎖的なOTネットワークとは異なり、以下のような特有のリスク要因を抱えています。
- OT/IT融合による攻撃対象領域の拡大: 生産制御システム(PLC, SCADA, DCSなど)が企業ネットワークやインターネットに接続されることで、ITシステムへの攻撃がOTシステムへ波及するリスクが発生します。
- レガシー設備の脆弱性: 長期間稼働しているOT設備は、最新のセキュリティ対策が施されていなかったり、パッチ適用が困難であったりする場合があります。これらの脆弱性が攻撃者にとっての侵入経路となり得ます。
- 無線通信やリモートアクセスの利用拡大: Wi-Fiやローカル5Gなどの無線通信、サプライヤーなどによるリモートメンテナンスが増加することで、外部からの不正アクセスのリスクが増加します。
- 多様なデバイスの接続: センサー、IoTデバイス、ロボットなど、様々なベンダーの多様なデバイスが接続され、管理が複雑化し、潜在的な脆弱性のポイントが増えます。
- リアルタイム性の要求: 生産システムは高いリアルタイム性が求められるため、セキュリティ対策(例:スキャンやパッチ適用)が生産活動に影響を与えないよう慎重に行う必要があります。
これらのリスクを網羅的に把握し、効果的な対策を講じるためには、体系的なアプローチが必要です。その出発点となるのが「脅威モデルの構築」です。
脅威モデルの構築:リスクを可視化する第一歩
脅威モデルとは、システムに対してどのような脅威が存在し、それらがシステムのどの部分をどのように攻撃し得るかを体系的に分析する手法です。スマートファクトリーにおいて脅威モデルを構築することで、潜在的なリスクを明確にし、優先順位を付けて対策を講じることが可能になります。
脅威モデル構築の一般的なステップは以下の通りです。
- 対象システムの特定と範囲定義: セキュリティ対策の対象となるシステム(特定の生産ライン、工場全体、特定の制御ネットワークなど)とその境界を明確に定義します。システムの構成要素(設備、ネットワーク、ソフトウェア、データなど)を洗い出します。
- 脅威の洗い出し: 定義したシステムに対して考えられるあらゆる脅威を洗い出します。これには、外部からのサイバー攻撃(マルウェア感染、不正アクセス、DDoS攻撃など)だけでなく、内部不正、誤操作、自然災害なども含まれます。OTシステム特有の脅威(PLCへの不正プログラム書き込み、制御コマンドの改ざんなど)も考慮します。STRIDE(Spoofing, Tampering, Repudiation, Information Disclosure, Denial of Service, Elevation of Privilege)のようなフレームワークを利用すると、網羅的に脅威を洗い出すのに役立ちます。
- 脆弱性の特定: 洗い出した脅威が、システムのどの部分のどのような脆弱性を突いて攻撃される可能性があるかを分析します。設備のOSの古さ、設定ミス、ネットワーク構成、従業員のセキュリティ意識の低さなどが脆弱性となり得ます。
- リスクの評価: 特定した脅威と脆弱性を組み合わせ、それぞれの攻撃が発生する可能性と、それがシステムやビジネス(生産停止、品質低下、安全リスクなど)に与える影響の大きさを評価します。これにより、対策の優先順位を決定します。
脅威モデルの構築は一度行えば終わりではなく、システムの変更や新たな脅威の出現に合わせて定期的に見直し、更新していくことが重要です。
多層防御アプローチ:複数の対策で防御を固める
脅威モデルに基づいて特定されたリスクに対して、単一のセキュリティ対策だけで完璧に防御することは不可能です。そのため、異なる種類の防御策を複数組み合わせる「多層防御(Defense in Depth)」という考え方がスマートファクトリーのセキュリティにおいて不可欠です。
多層防御では、攻撃者が一つの防御層を突破しても、次の層で阻止されるように設計します。スマートファクトリー環境における多層防御の具体的な要素は以下の通りです。
- ネットワークセキュリティ:
- IT/OTネットワーク分離: ファイアウォールやDMZ(DeMilitarized Zone)を設け、ITネットワークとOTネットワークを物理的または論理的に分離し、不用意な通信を防ぎます。
- ネットワークセグメンテーション: OTネットワーク内をさらにゾーン分けし、必要な機器・システム間のみ通信を許可することで、攻撃の影響範囲を局所化します。
- IDS/IPS(侵入検知・防御システム): 不審な通信や攻撃パターンを検知・遮断し、ネットワークへの不正侵入を防ぎます。OTプロトコルに対応したシステム選定が重要です。
- エンドポイントセキュリティ:
- アンチウイルス・不正プログラム対策: 生産制御システムやHMI(Human-Machine Interface)端末など、各デバイスに適切なセキュリティソフトウェアを導入します。OT環境での動作保証やパフォーマンスへの影響を考慮する必要があります。
- ホワイトリスト方式: 許可されたプログラム以外は実行させないようにすることで、未知のマルウェア感染リスクを低減します。
- アクセス制御:
- 最小権限の原則: 各ユーザーやシステムには、業務遂行に必要最低限のアクセス権限のみを与えます。
- 認証強化: パスワードポリシーの徹底、多要素認証の導入などを検討し、不正なログインを防ぎます。
- 脆弱性管理とパッチ適用:
- 資産管理と脆弱性スキャン: ネットワークに接続されている全ての資産(設備、ソフトウェア、OSバージョンなど)を正確に把握し、既知の脆弱性を定期的にスキャンします。
- 計画的なパッチ適用: 脆弱性が発見された場合は、生産への影響を考慮しつつ、計画的にパッチ適用や回避策を実施します。稼働中のシステムでは、ベンダーと連携した慎重な対応が必要です。
- セキュリティ監視とログ分析:
- ログ収集と一元管理: 各システムや機器から出力されるセキュリティ関連のログ(アクセスログ、操作ログ、エラーログなど)を収集し、SIEM(Security Information and Event Management)などのシステムで一元管理します。
- リアルタイム監視と異常検知: 収集したログやネットワークトラフィックをリアルタイムで監視し、通常のパターンと異なる不審な挙動を検知します。
- データの保護:
- 暗号化: 機密性の高いデータ(生産データ、レシピ情報など)の保存や転送時に暗号化を適用し、データの漏洩や改ざんを防ぎます。
- バックアップとリカバリ: 定期的にシステムのバックアップを取得し、万が一の攻撃やシステム障害が発生した場合でも、迅速に復旧できる体制を構築します。
- 物理的セキュリティ:
- 設備の設置場所やネットワーク機器への物理的なアクセス制限も、サイバーセキュリティの重要な要素です。
- 人的対策と訓練:
- 従業員へのセキュリティ教育:フィッシングメール対策、安全なパスワード管理、不審な挙動の報告など、基本的なセキュリティ意識の向上を図ります。
- インシデント対応訓練:セキュリティインシデントが発生した場合の報告、初動対応、関係部門との連携などの訓練を定期的に実施し、対応能力を高めます。
これらの多層的な対策を、構築した脅威モデルに基づいて優先順位を付けながら導入していくことが、スマートファクトリーのセキュリティレベルを向上させる上で極めて重要です。
まとめ:継続的な取り組みで安全なスマートファクトリーを実現
スマートファクトリーにおけるサイバーセキュリティは、一度対策を講じれば完了するものではありません。新たな脅威が日々出現し、システム構成も変化していくため、継続的な監視、評価、改善が必要です。
生産技術部門のリーダーとして、サイバーセキュリティを単なるIT部門の管轄と捉えるのではなく、生産活動を支えるインフラの重要な要素として認識し、積極的に関与することが求められます。脅威モデルを基盤とした多層防御アプローチを体系的に導入し、技術的な対策だけでなく、組織体制の整備や従業員のセキュリティ意識向上にも取り組むことで、サイバー攻撃のリスクを低減し、安全で信頼性の高いスマートファクトリーの運用を実現できるでしょう。必要に応じて、セキュリティ専門家の知見やサービスを活用することも有効な手段となります。