製造現場のデータをAI・機械学習で最大限に活かす:成功に導くためのデータ準備と前処理ノウハウ
なぜ製造現場のAI/ML活用にデータ準備が不可欠なのか
スマートファクトリーの実現において、AIや機械学習(ML)は生産性向上、品質改善、予知保全など、様々な領域で大きな可能性を秘めています。しかし、現場データの収集・分析を進める中で、「AIモデルの精度が上がらない」「期待した効果が出ない」といった課題に直面することも少なくありません。その原因の多くは、AI/MLモデル構築以前の「データ準備」の段階にあると言われています。
製造現場から収集されるデータは、センサーの種類、設備の年代、通信プロトコル、記録方法などにより、形式が不統一であったり、欠損値や外れ値を含んでいたり、ノイズが多かったりと、そのままではAI/MLモデルの学習に使いにくい特性を持っています。これらの「生のデータ」を、AI/MLモデルが効果的に学習できるよう、適切に収集、クレンジング、変換、整形するプロセスがデータ準備です。
データ準備の質が、AI/MLモデルの性能を大きく左右すると言っても過言ではありません。このプロセスを怠ると、いくら高度なモデルやアルゴリズムを使用しても、不正確な分析結果や予測しか得られず、現場改善に結びつかない事態に陥ってしまいます。本稿では、製造現場におけるAI/ML活用の成功確率を高めるためのデータ準備と前処理について、具体的なステップとノウハウをご紹介します。
AI/ML活用を成功に導くデータ準備の具体的なステップ
製造現場のデータをAI/MLで活用するためには、以下のステップでデータ準備を進めることが一般的です。
ステップ1:目的と必要なデータの定義
プロジェクトの成功には、まず「何を達成したいのか」という目的を明確に定義することが重要です。不良品の早期発見、設備の故障予兆検知、生産計画の最適化など、具体的なユースケースによって必要となるデータの種類、粒度、期間、収集頻度は異なります。
- 目的の明確化: 解決したい課題、期待する効果(生産性〇%向上、不良率〇%削減など)を具体的に設定します。
- 必要なデータの特定: 目的達成のために、どの設備、どの工程の、どのような種類のデータ(稼働データ、センサーデータ、品質データ、作業記録、環境データなど)が必要か洗い出します。
- データの所在と形式の確認: 必要なデータがPLC、SCADA、MES、DCS、ペーパーログなど、どこにどのような形式(時系列データ、構造化データ、非構造化データ)で存在するかを確認します。
ステップ2:データ収集と統合
特定したデータを様々なソースから収集し、一元的にアクセス可能な場所に統合します。製造現場では、OT(Operation Technology)領域のデータとIT(Information Technology)領域のデータを連携させる必要が生じます。
- データ収集方法の検討: センサー、PLC、設備コントローラーからの直接収集(OPC UA、MQTTなど)、既存システムのデータベースからの抽出、手動入力データのデジタル化など、最適な収集方法を選定します。レガシー設備からのデータ収集には、プロトコル変換器やエッジデバイスの活用が有効です。
- データ統合基盤の構築: 収集したデータを蓄積し、統合的に管理するための基盤(データレイク、データウェアハウス、クラウドストレージなど)を構築します。異なる形式のデータを格納できる柔軟性を持つことが望ましいです。
- OT/IT連携: 物理的なネットワーク分離を考慮しつつ、セキュアな方法(VPN、ファイアウォール、DMZなど)でOTデータとITデータを連携させます。データハブやメッセージキューを活用して、リアルタイム性や堅牢性を確保するケースもあります。
ステップ3:データクレンジング
収集したデータには、欠損、ノイズ、外れ値、重複といった問題が含まれていることがほとんどです。これらを適切に処理し、データの品質を高めます。
- 欠損値の処理:
- 欠損データを含む行や列の削除(欠損が多い場合)
- 平均値、中央値、最頻値などで補完
- 前後データからの線形補間や、機械学習モデルを用いた予測値で補完
- 現場の専門家へのヒアリングによる原因特定と対策
- 外れ値の検出と処理:
- 統計的手法(Zスコア、IQRなど)や可視化(箱ひげ図、散布図)による検出
- 業務知識に基づく閾値設定
- 外れ値の削除、置換、または別途フラグ付け
- ノイズの除去: 平滑化(移動平均など)、フィルタリングなどの手法を用います。センサー特性や測定環境に起因するノイズが多い場合があります。
- データ形式の統一: 日付・時刻形式、数値形式、文字列形式などを統一します。誤入力や表記揺れ(例: "Kg"と"kg")の正規化も行います。
ステップ4:データ変換と整形
AI/MLモデルの学習に適した形式にデータを変換・整形します。
- データの正規化・標準化: 特徴量間の尺度の違いを揃えます。異なるセンサーから収集された温度データと圧力データを比較可能にする場合などに行います。
- 正規化(Normalization):[0, 1]の範囲にスケーリング
- 標準化(Standardization):平均0、分散1になるようにスケーリング
- カテゴリカルデータのエンコーディング: 性別、地域といったカテゴリ変数(文字列や離散値)を、モデルが扱える数値形式に変換します(One-Hot Encoding、Label Encodingなど)。設備の機種名や不良の種類などがこれに該当します。
- 時系列データの加工: 時間軸に沿った特徴量(ラグ特徴量、移動平均、ボラティリティなど)を生成したり、一定時間間隔でデータを集約(リサンプリング)したりします。
- データの集約・分割: 分析の粒度に合わせてデータを集約したり、逆に細分化したりします。
ステップ5:特徴量エンジニアリング
AI/MLモデルの予測精度を向上させるために、生のデータから新しい特徴量を生成するプロセスです。現場知識やドメイン知識が非常に重要になります。
- 現場知識の活用: 熟練オペレーターの知見に基づき、「特定のセンサーデータの組み合わせが異常の兆候を示す」「ある値の急激な変化が重要」といった仮説を立て、それを反映した特徴量を作成します。
- 新たな特徴量の生成:
- 複数のセンサー値の四則演算や関数適用
- 時系列データの変化率、積算値
- 異なるデータソース間の関連を示す特徴量(例: 温度データとモーター稼働時間の組み合わせ)
- 外部データ(天候、操業スケジュールなど)との連携による特徴量
ステップ6:データ分割
準備が完了したデータを、AI/MLモデルの学習用、検証用、テスト用に分割します。これにより、モデルが未知のデータに対してどれだけ汎化性能を持つかを評価できます。
- 分割比率: 一般的に、学習用データが最も多く(例: 70%)、検証用とテスト用にそれぞれ残りを割り当てます(例: 各15%)。ただし、データ量やタスクによって適切な比率は異なります。
- 時系列データの考慮: 時系列データを扱う場合は、時間の前後関係を維持して分割することが重要です。過去データで学習し、未来データで評価します。
データ準備を効率化・自動化するツールとノウハウ
これらのデータ準備ステップを手作業で行うのは、時間と労力がかかります。効率化のためには、適切なツールや手法の活用が有効です。
- ETL/ELTツール: 複数のデータソースからデータを抽出し(Extract)、必要に応じて変換・加工し(Transform)、ターゲットシステムに格納する(Load)プロセスを自動化します。DataRobot、Tableau Prep Builder、Alteryxなどの専用ツールのほか、クラウドベンダーが提供するサービス(AWS Glue, Azure Data Factory, Google Cloud Dataflowなど)があります。
- プログラミング言語とライブラリ: Python(pandas, NumPy, scikit-learnなど)やRといったプログラミング言語は、柔軟かつ高度なデータクレンジングや特徴量エンジニアリングを行う上で強力なツールです。
- データベース機能: データベースのSQL機能を使って、データの抽出、集計、結合といった基本的な前処理を行うことも可能です。
- データプレパレーションツール: GUIベースで直感的にデータ変換やクレンジングが行えるツールも増えています。非エンジニアでもデータ準備に携わりやすくなります。
現場との連携なくしてデータ準備は成功しない
データ準備は、データサイエンティストやIT部門だけで完結するものではありません。生産技術部門や現場オペレーターとの密接な連携が不可欠です。
- データの意味理解: 収集したデータが現場のどのような事象を表しているのか、その背景や文脈を理解するためには、現場の専門家の知識が必要です。センサー値の異常が本当に異常なのか、一時的なノイズなのかといった判断も現場の知見が役立ちます。
- 異常原因の特定とタグ付け: 設備異常や不良発生時に、どのような状況だったのか、その原因は何だったのかといった情報は、AIモデルが異常を学習するために非常に重要です。これらの情報(タグ付けされたデータ)は現場からのインプットなしには得られません。
- 特徴量エンジニアリングへの貢献: 現場の熟練オペレーターが持つ「勘」や「経験」は、効果的な特徴量を生成するための貴重なヒントとなります。例えば、「Aの音がいつもと違う時にBの振動が大きくなる」といった知見は、AとBのデータを組み合わせた新たな特徴量につながる可能性があります。
- 継続的なフィードバック: 構築したAIモデルの予測結果や現場での運用状況について、現場からのフィードバックを得ることで、データ準備プロセスや特徴量を見直し、モデル精度を継続的に改善していくことができます。
まとめ:質の高いデータ準備がAI/ML活用の鍵
製造現場におけるAI・機械学習の導入は、多大なメリットをもたらす可能性を秘めていますが、そのためには質の高いデータ準備が不可欠です。欠損値やノイズだらけのデータでは、どれほど洗練されたAIモデルもその能力を発揮できません。
本稿でご紹介したステップ(目的定義、データ収集・統合、クレンジング、変換、特徴量エンジニアリング、データ分割)を着実に実行すること、そしてETL/ELTツールやプログラミングライブラリといった適切なツールを活用することが、効率的かつ効果的なデータ準備につながります。
特に、現場オペレーターや生産技術の専門家との密な連携は、データ準備プロセスの質を飛躍的に向上させる鍵となります。現場の持つ貴重な知識や経験をデータ準備に反映させることで、AI/MLモデルはより現場の実態に即した、実践的な価値を生み出すことができるようになります。
データ準備は地道な作業ですが、スマートファクトリーの実現に向けたAI/ML活用の基盤となる最も重要なプロセスです。ここにしっかりと時間とリソースを投資することが、プロジェクト成功への確実な一歩となるでしょう。